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ハロー、ロンリーチャップリン

「えっ」

店員に言われた言葉に小さくまで呻くように聞き返してまった。顔馴染みの店員はすまなそうにもう一度嶋本に告げる。

「今日は祝日なので当日出来上がりは10時までのお引受け分なんです」

ちらりと店内にかけられている時計を見れば10時半をまわったところで、11時までの受付で当日出来上がりの平日であれば十分余裕があるのだが、先に店員が言った通り今日は祝日で、明らかに当日出来上がりは無理な話だった。

「明日の12時の出来上がりになりますが・・・よろしいでしょうか」

シフト勤務の自分に曜日の感覚、ましてや祝日なんて無意味なしろものだが世間はそうはいかないのだと自分の迂闊さに少しばかり苛立った。

「明日・・・」
「はい」

明日出来上がったってこのクリーニング店の営業時間に嶋本が受け取りに来れるはずもなく、次の休みまでまさか預けっぱなしにするには嶋本自身の着替えにも限界がある。どうしたものかと思案するもいい案など浮かぶはずもない。もとより案も策もあったものじゃない。

「私が取りに来ましょうか」
「は」

同じようにクリーニングを預けにきていた女性が突然嶋本に声をかけた。見知らぬ女にそんなこと言われて嶋本の片眉がくっと上がった。
その顔を見て、女は嶋本の考えはお見通しとばかりに少し笑って口を開いた。

「三管本部のです」
「あ、え、サン・・・・って、えぇ?!」

三管本部のと嶋本が表だって会うことはほとんどない。嶋本だけでなく特救隊の人間のほとんどがのことを知っているのに会うことがほとんどないのは電話でしか接触がないからだ。

もっとも嶋本は何回か本部に出向いた際にちらっと見たことはあるが、今、目の前にいるのが、あのだと認識するにはかなりの努力が必要だった。
それくらいの姿は私服を着ていることを除いても嶋本にとっては別人のようだったからだ。

「じゃあ、お預かりしてよろしいでしょうか?」

呆然とする嶋本をよそにお願いしますとが店員に告げた。


なるほど人がいつもよりも多いのは祝日だったからかと喫茶店でモーニングともブランチともつかないサンドイッチを手にして嶋本は改めて今日という日を認識する。
目の前ではが同じようにサンドイッチをほおばっているが、特救隊の他の誰もが今このを見てあの「鉄面皮」だと気づくことはないだろうと嶋本は思った。

「クリーニングが出来上がったら、羽田にお持ちした方がいいですか?」
「あ、いや、羽田まで来てもらうんわ悪いっすし・・・オレがもらいにいきますわ」
「本部にですか?」
「・・・防災基地とかダメっすかね」

羽田までは悪いのに防災基地なら悪くないのかと自分の厚かましさに心で突っ込みながら恐る恐る尋ねれば、当のはにっこり笑って快諾してくれた。

「いいですよ。防災ならすぐですから」
「ほんま、すいません」
「じゃあ、ここは嶋本さん持ちってことで」
「そらもう、何やったらメニュー全部頼んでください」
「わぁ、嶋本さんたら太っ腹、素敵」

手のひらを胸の前で組み合わせてちょっと小首をかしげておどけるに嶋本の目はまた点になる。突っ込みも忘れるほど嶋本らしくないその様子には今度は本気で笑い出した。

「嶋本さんすごい顔してますよ」
「いや、何かサンのイメージが違うっちゅーか、崩れたっちゅーか・・・」
「あぁ、鉄面皮ですもんねぇ」

口に手をあててくすくすと笑うは、女としてあまりにも愛想がないといつのまにか「鉄面皮」とあだ名がつけられている三管本部のと同一人物とは到底思えなかった。

「・・・知ってはったんすか」
「気にしなくても、愛想がないのは事実ですから」

「鉄面皮」なんてあだ名は決して嬉しいものではないだろうに気を悪くする風もないに嶋本は感心する。
仕事中のきびきびした顔はどこにもなくて柔らかく女を感じるのはたぶん、きっと、嶋本にはわからないけれど化粧の仕方から違うのかもしれない。そういえば仕事中は髪もぴっちりと止めていたような気がする。

女は化けよるからなぁ。

めくってガッカリはよくあることだけれど、これは全くの真逆で嶋本の好奇心がうずいた。

「・・・今はえらい違いますけど」
「これが素です。仕事中は失敗しちゃいけないと思って気を張ってるんですよ?」
「仕事は完璧ですやん。いっつも素でいはったらええのに」

に仕事を頼んで不備があったなんて聞いたことがない。そのため鉄面皮だのなんだの言いながらも愛想のいい子よりもに仕事を頼む隊員が少なくない。何より各隊長は以外に仕事を頼むことなどないくらいで、真田隊長は必ず彼女を指名する。あの隊長が女の名前を覚えているだけでもその価値がしれるというものだ。

「素で仕事して何か得します?」

言われてみれば自身が愛想を振りまいて得することなんて実際ないかもしれない。単に自分たち男の鼻の下が伸びるのが関の山だ。

うーんと答えにつまってしまった嶋本を見てはまた笑う。本当に嶋本には信じられないくらいよく笑うし、その笑顔は柔らかく温かく魅力的でもあった。

「ゲラ子にあだ名かえましょか」
「ゲ?」
「ゲラ。よう笑う人のことっすわ」
「ゲラ子!!嶋本さんってほんとおもしろいですよね!!」

そうして更に笑い出す。
と一緒にいる間、嶋本の頬もゆるみっぱなしだったのはつられて笑っただけが理由ではないことに嶋本自身が気づくのはもう少し先になる。


声変わりが始まったのかと同僚たちにからかわれるほどに嶋本の声が枯れてきた。毎日毎日ひよこ相手に怒鳴り散らしているせいらしい。

昨日のカラオケは散々でいつもの持ち歌もまともに歌えなかった。おかげでストレス発散に歌いにいったのにストレスがさらに溜まるという逆効果になってしまった。
ふと講義室で一人なのをいいことに、もしかしてものすごく上手く歌えるかもと思ってつい歌ってしまったのが運のツキ。

お、なかなか上手いやんけ。

思った通りふだんなら出ないハスキー声で雰囲気がでる。関西人気質かこれは受けると妙な確信を得て悦に入ってサビ部分にさしかかった時だった。

ケタケタと甲高い笑い声が聞こえて、声のした講義室の入り口を見てみるとそこにはの姿があった。
は制服姿で髪もぴっちりと止め、化粧も赤みがあまりない感じで、誰もが知っている「鉄面皮」だった。
ただ違うのは耳に心地いいくらいのソフトな笑い声。

「や、やだ。なんて歌うたっ・・・歌ってるんですか」
「・・ロンリーチャップリン、上手いやろ」

一人でロンリーチャップリンを歌っている姿をに見られて笑われて、格好悪くて恥かしいことこのうえなかったが、何とか開き直る手段に出た。
だいたいどうしてこんなところにが、そう思っての手にクリーニング店のビニール袋が握られていることに気づく。

「上手いって・・・あれ、声?」
「怒鳴り散らしすぎでちょっと」
「厳しくしてるらしいですね」
「厳しぃもなんも出来が悪いんすわ」

無造作に嶋本が自分の隣の椅子を引くとは嶋本に促されるまま座り、手にしていた荷物を机の上に置いて滑らすように少し嶋本の方に寄せた。

「これ、間違いないか中を確かめておいてくださいね」
「あぁ、すんません、助かりました」

嶋本はぺこりと小さく頭をさげて袋を自分の方に引き寄せて、ざっと中を確かめた。

「それにしても泣くほど笑わんでもいいんとちゃいますか」

目に溜まった涙を指先でちょっと抑えて拭いたを見咎めて嶋本はわざとらしく少し口を尖らせた。

「ごめんなさい。でも私、嶋本さんの前ではゲラ子ですから」

そう言ってまた手を口にあてて楽し気に笑い出した。
口にあてられた指に何もついていないことをすかさずチェックした。

男おらんよなぁ。

「鉄面皮」なんて絶対処女だぞなんて飲み会なんかで口悪く酒の肴にして笑っていたことを思い出して、何も知らずによく言えたもんだと今更ながらも罰の悪い思いをする。
よくもまあ今までこんないい女を放っておいたと自分たちの見る目のなさに反省すらしたくなる。

「それって・・・」
「え?」
「いや、何もないっす」

そうやって素で接するのはほんまにオレだけですか、なんて。
独占欲丸出しのセリフを言いかけて慌てて口をつぐんだ。

何考えてんねん、オレ、あほか。

ひとしきり笑ったはあぁと思い出したようにポケットに手を入れた。

「これ、少しは楽になるかも」

そう言って取り出したのは飴。のど飴でも何でもない普通の飴で、効果は期待できそうにはないけれど、嶋本はとても大事なものを手にしたような気がした。

「ありがとうございます・・・。せやけど飴ちゃん持ち歩いてるんて大阪のおばちゃんですよ」
「・・・何それ!!」

大阪のおばちゃんの鞄には必ず飴が入っている、そんなことをテレビでやっていたことをに話すと、はまた笑い出す。

「やだ、私っておばちゃんでゲラ子なんですか?!最高!!」
「や、最低ちゃいますのん」

もう止まらないとばかりに机につっぷして笑う。その姿に嶋本も笑いすぎやとつられて笑う。
しばらく講義室は二人の笑い声が響いた。
このままいつまでも二人で笑っていられたらどんなに楽しく幸せだろうかと嶋本はの笑顔を見て思った。

あぁ、ヤバイなオレ。

手にした飴を封を切れずにそのままポケットにしまった。

ふと、遠くから自分を呼ぶ声に気づいて、時計を見ると休憩時間がもうすぐ終わることに気づいた。
も嶋本を呼ぶひよこたちの声に気づいて、大きく息を吸い込んで笑いを押しとどめた。嶋本は先程までの笑顔からは想像できないくらい眉をひそめた。

「あぁ・・・」
「どうかしましたか?」
「いや、笑いすぎてまた声枯れた気ぃしますわ」
「ごめんなさい」
「これでほんまにロンリーチャップリンしか歌われませんやん。趣味疑われるわ」
「上手でしたよ?」
「・・・ほな責任とってもらいましょか」
「責任?」
「いっきゅーさんまる、クリーニング屋の前に出動要請ってことで、ほな」

嶋本はの返事も聞かずに講義室を飛びだして、ひよこたちの待機している所へと向かった。
あほらしいと自分では思うほど、その場で誘いの返事など聞くこともできないくらいドキドキしていてその鼓動と比例するように足早になった。

「嶋本さん!!」

呼ばれてびくりと体が反応した。まさか追いかけてくるとは思ってなかった。恐る恐る振り返るとはクリーニング店の袋を差し出した。

「忘れて・・・ます」
「あ・・・すんません」

まぁ別に講義室だから帰りに取りに行ってもよかったのだが、たぶんそれはもわかっていることらしく如何にも口実的だった。

「ごめんなさい」

嶋本は自分の心臓がドクリと脈打ったのがわかった。
断るのにわざわざ追いかけてこなくても知らん振りして来なければいいものを律儀通り越して嫌味やなんて心の中でショックを打ち消そうと毒づいた。

けれど嶋本の考えに反した言葉がの口から続いた。

「にーまるまるまるではダメですか。ちょっと仕事が立て込んでて・・・」
「え、あ。にーまるまるまるで全然オッケっす」
「よかった。いくら何でも30分も待ってくれないでしょう?嶋本さん短気そうだし」
「短気な人間に短気や言わへんほうが身のためっすよ」
「あ、そうか」

ふふふっと口に手をあてて笑ったの顔がうっすらと赤みがさしてるのは、きっと気のせいじゃないはずだ。

「ほな、また」
「ロンリーチャップリン楽しみにしてますから」

小さく手を振って出口に向かうの後姿を見ながらポケットの中の飴をぎゅっとにぎりしめてロンリーチャップリンと声を枯らした元凶のひよこたちに少し感謝した。
あくまで少し、だけ。

よし、礼にアイツらみっちりいわしたろ。

ひよこたちにはあまりに迷惑な礼の仕方を心に決めて軽やかな足取りで訓練に向かった。



2005

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