目覚ましが鳴る直前に目を覚ましたはカーテンからこぼれてくる光に今日はいい天気だと思い気持ちよく起きることができた。
天気の悪い日は心配事が増えるから好きじゃない。それは海の仕事をする兄を持つせいだとわかっていても誇りを持って仕事をしている兄にはそんな素振りは見せないでいた。
自分が心配する姿を見れば兄が心を少なからず心を痛めることくらいにだってわかることだ。
目覚まし時計に手を伸ばして、鳴らないようにスイッチをオフにする。
深夜にゴトゴトと玄関先と隣の部屋で音がして不規則な仕事の兄が帰ってきたのだろうと寝入りかけた頭で判断していたからだ。
目覚ましの音で起こしたらかわいそうだしね。
いつも「何か」に備えている、備えなくてはいけない職業の兄に対する少しばかりの思いやりのつもりだった。
音を立てないように着替えて、そっと部屋を出た。洗面所で軽く身支度をして、コーヒーを淹れる。冷蔵庫を覗いて朝食のメニューを頭の中でさっと組み立てた。
そして、冷蔵庫に貼ってある兄のシフト表を確認した。
そこまでは日課のようなもので、一連の流れの中一瞬見落としてしまった。振り返って兄の部屋の扉が目に入った瞬間、もう一度冷蔵庫に振り向いてシフト表と時計を交互に見やった。
「やだ!!お兄ちゃん!!遅刻じゃない!!!!」
勢いよく扉を開けて、そのまま直線上にあるベッドにダイブした。
「…?!ふごっ」
布団の中からくぐもった悲鳴には首をかしげた。更に布団の上から馬乗りになるように乗っかった兄に違和感を覚えた。
何か小さい…。
「何さらすんじゃっ!!」
がばっと起き上がられて、はバランスを崩してそのまま後ろにひっくりかえった。
兄だと思っていた人は全然見知らぬ男では悲鳴も上げられないほど驚いた。
しかし、その男の着ているTシャツが見覚えのある兄と同じものであることに気づいて、瞬時にその男の身元を判断した。
「…海保さん?」
「ん、あー、まぁ」
ぼりぼりと頭をかいた男は、まだ少し覚醒しきってない目でを見て頷いた。
ふぁとあくびをした口からは酒のにおいが漂ってきて、はそのあまりのにおいに眉をしかめた。
「…パンツ」
「は?」
男はとりたて興味なさ気な口調のままでを指さした。
「パンツ丸見えや」
「!!」
馬乗りになっているところをひっくり返されて、後ろに手をついた状態では当然といえば当然だけれど、見知らぬ男が出てきたことでそこまで気が回っていなかった。
言われては慌ててベッドから下りた。
「見よう思て見たんちゃうからな〜」
こっちだって見せようと思って見せてたんじゃないわよ、と拳を握り締めたに男は特有のイントネーションで続ける。
「それより、それ取って。アンタの足元のオレのん」
言われてが足元を見れば、オレンジのズボンが脱いだそのままに散乱していた。
「…特救隊」
「おぅ、さすが身内に潜水士おるだけあるな」
特に特救隊であることを鼻にかける素振を見せることもなくが自分の制服を見ただけで特救隊だと気づいたことに男は感心したのか少し目を見開いた。
「自分で取りなさいよ」
「パンツごと脱いでんねん」
信じられない言葉を聞いて、もう一度脱ぎ散らかされたものを見れば、ズボンの中にもう一枚下着であろう衣類が見えて言葉を失った。
潜水士は職業柄のせいか着替えが早い。どうやって早く済ませているのかその実態の一面を垣間見た気がした。
寝るのに脱がなくてもいいじゃない…。いや、大体が露出狂なのだ潜水士という輩は。
「昨日は酔うてしもてたからな」
不意に声が近くになったと思い男がいた方を見ようとしてその足元に男がしゃがんでズボンに手をかけているのに気づいた。
がいつまでも服を取ってくれる気配がなかったからだろう。下半身を何で隠すこともなく男は自分で取りにきたのだった。
「きゃあ!!」
「気にすんな。アンタのパンツ見たくらいで元気になってるほどガキやない」
も男の言わんとすることを理解できない年ではなくて、怒るに怒れなかった。
実際怒りの原因は下半身だけ素っ裸で自分の隣に来たことだが、怒ったところで「何や元気になって欲しいんかい」と返されそうだったからだ。
怒りを抑えようとため息を1つついたときには男はもうベルトもしめていた。
本当に着替え早い。
着替え終えて寝癖を気にしてか頭をガシガシとかく男を見て不覚にもドキリとした。お世辞にも背が高いとはいえないその男だが、海保のTシャツに特救隊のズボンをはいてピンと張る背筋に男らしさが存分に滲みでていた。
制服ってタチが悪い。これがスーツだったら七五三だって笑ってやれるのに。
「何や」
じっと見ていたのに気づいたのか訝しげに男は眉をよせた。はドキっとしたことを気取られないように少しうつむいて髪を耳にかけた。
「お兄ちゃんは?」
「待機が出動したから待機に回った」
「…事故?」
「さぁ。コッチには要請きてへんから」
兄は第三管区に所属する潜水士で特救隊ではない。通常の潜水士たちで困難な救助をするのが特救隊だ。つまりここにいる男は兄よりも潜水士として格上だということで男が軽く首をかしげて、まぁ心配するほどのことやないやろと呟いたことに少しカチンときた。
しかし男はのわずかな変化に気づくことなく財布と携帯が自分のポケットの中に収まっていることを確認して、ちらりと左腕につけられたダイバーズウォッチを見てから玄関へと向かい靴を履いた。
「ほな、邪魔したな」
軽く左手を掲げて振り返ることなく男はそのまま出て行った。バタンと玄関の閉まる音がやけに大きく響いた気がした。
何よ…。
あまりにあっさりと出て行った男に苛立ちに似た感情が湧いてきて戸惑った。名前も知らないその男は最悪の印象とそれでも惹きつける何かをの心に残していったのだった。
200502→20101018改