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よーい、テ!



「眉間にシワがよってますよ?」

 私の顔をマッサージしていたメイクさんは眉間を軽くつついた。

「新婦さんお一人での準備でしたもんねぇ」

 その後ろでホテルの挙式担当者が苦笑したのが気配でわかった。初めての説明に訪れた日から何度にもわたる打ち合わせのその全てにもう一人の主役であるはずの新郎は一度も顔を出すことがなかった。

「そうなんですか?お忙しいお仕事されてるんですね?」
「…暇なこともしてますけどね」

 たまに聞くヤクルトじゃんけんの暢気な様を思い出せば、そのくらい嫌味も言いたくもなる。

 ドレスはどんなのがいい?
 オレが着るんちゃうねんし、好きなん着たらええ。

 引き出物はどうしたらいい?
 任せるわ。そういうのんおまえの方がセンスあるやろ。

 ブーケなんだけど・・・
 おまえの好きなんにしたらええねん。

 キャンドルサービス、お色直し、招待状の文面から席順に至るまで、まともに相談できたことなんて何一つなかった。いっそ入籍だけにしようよと言えば、そういうわけにはいかへんと変なところで世間体を気にして…。

 思い返せば思い返すほどにイライラとむかむかとしてきて眉間にシワのひとつもできるってものだ。

「新郎さんのお衣装はどうされたんですか?」
「制服着るんで・・・」
「靴だけ後であわせていただきますね」

 背がものすごく低いことを伝えてあるので、シークレットが用意されている。私も合わせてほとんどヒールのないものをはいているけれど、それでもやっぱりお約束のようにシークレットを担当者ははかせるつもりらしい。嫌がる様子が目に見えて、ほんの少しストレスが解消された。

 ざまーみろ。

 って結婚式当日に新婦が新郎に思うのってどうだろうか…。

 そんな私の心中をよそにマッサージが終わって、ヘアとメイクが施されていくと、鏡の中の自分はちゃんと新婦に変身していく。

 くるりと巻いた髪をアップにされて、きらきらと光るティアラが飾られる。大きく開かれた胸元にもピアスとお揃いのネックレスがつけられた。後ろでネックレスを止めていたメイクさんが小さく笑った。

「何ですか?」
「え…これ…隠しましょうね」

 慌ててメイクボックスをもう一度開けてコンシーラーとファンデーションを自分の手の甲で調節して私の背に塗りだした。

「…す、すいません」
「いえ、いいんですよー。よくあることですしね。結婚前の一番幸せなときですもの」

 あのバカ!!! あんなに、あんなに、あんなに!! 式が終わるまでは痕をつけるなって言ったのに!!!

 恥かしさよりも怒りで顔が赤くなっていく。

「新婦さん、眉間、眉間!」

 担当者が笑いながら自分の眉間を指差す。

「ほんと楽しみですよ、新郎さんにお会いするの」

 私の苦労を知っている担当者は感慨深げにブーケとブーケトニアを並べる。ベールを取りだしてきたメイクさんも私も早く見てみたいですと笑った。

 コンコンと扉がノックされて、新郎さんお通ししていいですか、とスタッフの声が扉越しに聞こえる。担当者がどうぞ、と扉を開けるとそこには白い制服姿の彼。

 その姿に目を丸くして口を開けている担当者とメイクさんを鏡越しに見て少し誇らしくなる。

 カッコ、いいでしょう?

 部屋に通されたものの、鏡越しに私をちらっとだけ見て、帽子を弄びながら、こっちの控え室の方が広いんやなぁ、なんてきょろきょろと落ち着かない。

「新郎さん、靴を合わせていただきたいんですけど」

 気をとりなおした担当者が彼のサイズのシークレットをいくつか出してきた。

「え、何で…ですか」
「新婦さんとの釣り合いがありますから」

 にっこりと有無を言わさない押しの強さで、担当者がてきぱきと彼に靴を合わせさせる。

 その様子を面白げに見ていた私にメイクさんがそっと素敵な人じゃないですかと耳打ちした。

 うん、そう。素敵な人ですよ。男らしくて頼れるし、その反面子供みたいに手がかかったりもするけど、根は優しくて情に深い温かい人。

 この人とこれから一生過ごしていくんだ。

 必ずいつも隣にいてくれるわけじゃないことは承知だ。大変な時ほど傍にいてもらえないかもしれない。

 それでも。

 それでも私はこの人と歩んでいく。たまに先に行かれて、怒って、駆け寄って。時には彼を追い越して、追いかけられて、捕まえられて。

 そうやって同じ道を歩んでいけるなら、それでいい。並んで歩くのは今日だけでもいい。

 今日から私たちは同じ道を歩んでいくから。手をつないでいる日もつなげない日も、進むのは同じ道。

 ほら、何だっけ。彼もよく使う。号令の合図。

「さぁ、新婦さん、綺麗に出来ましたよ?」
「ドレスは裾を蹴るように歩いてくださいね」

 メイクさんに手をかりて椅子からゆっくりと立ち上がって彼に向き合った。彼と並んで歩くことを考えて、選んだドレスはそんなに華美なものじゃない。それでも初めて見るドレス姿に流石の彼も言葉をつまらせたようにみえた。

「ほら、新郎さん?」

 いつまでも何も言わずにただ私を見てるだけの彼に担当者が彼からお決まりのセリフを引き出すようににっこりと笑う。

「…おぅ」
「…うん」

 シークレットのおかげでいつもよりも少し目線を上げて彼を見ることがなんだか変な感じで、私も妙に照れがでる。担当者に促されるままに彼の腕に手を添えて、ブーケを手にする。ブーケの重みか、それとも緊張からか、震える手がブーケの花びらをふるふると振るわせた。

 ブーケトニアをつけられた彼は帽子を少し深めに被りなおすと小さく咳払いをして、ええんちゃうと呟いた。

「そ?」
「おぅ。さすがオレや」
「何それ」
「えぇもんもうたなって」

 ふぅーと大きく息を吐いた彼はもういつものようににんまりと笑って私の耳元で甘くくすぐる。

「めっちゃひんむきたいわ」
「…バカ」

 甘くゆるんでいく空気にメイクさんも担当者もつられたように笑顔を私に向ける。彼が傍にいれば私の眉間にもシワができることはないらしい。

「ではこちらへどうぞ」

 担当者が扉を開ける。

 足を進めようとした彼を止めた。

「何や…?」
「ほら、何だっけ、あれ」
「あれ?」
「よーいドンじゃなくて、なんて言うんだっけ」

 今日、ここから同じ道を歩んで行くから。

「…! あぁ。テや」
「テ、ね。うん。じゃぁ」
「おぅ」

 私の言いたいことがわかったんだろう、彼はふっと表情を緩ませた。目と目で、合図をすれば

「「よーい、テ!」」

 ベタ靴とシークレットで私たちは同じ道へと最初の一歩を踏み出した。



200506 お題(恋する7つのレスキューポケット)「よーい、テ!」より再録

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