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うそつくのに慣れないで 5



 その後、適当な店で夕食をとり、デザートにとケーキ屋に寄っていくつか買い込み、こうして家まで辿り着くまでの間、嶋本は内心穏やかではなかった。あれで終わるような甘い女ではないくらい長い付き合いでわかっている。

 玄関の鍵を内からかけたところでは立ち止まった。

「嶋本進次くん?」

 は低い声で嶋本の名をわざわざフルネームで呼んだ。その声の低さに嶋本は身構えた。

「・・・なんでございましょう」
「よかったわぁ。これ、はいて・き・て!」

 にっこりと笑って嶋本の足の上を力任せに踏みつけた。

 声にもならない悲鳴が嶋本からあがる。

「下の子らの前で恥かかされへんかっただけ有難いと思ってや?」

 用済みとばかりにさっさと靴を脱いでは部屋へ上がる。それに続いて嶋本は足をひょこひょこさせながら上がる。

 ベッドの上に座って靴下を脱ぎ捨てるとくっきりと丸く赤い後が残っていた。ふうふうと赤くなった足に息を吹きかけながらキッチンでコーヒーを入れようとしているの様子を伺う。 見た感じいつもと変わらないように見えなくもないが、口数が格段に減っていることでがまだ怒っているのだと感じ取った。

 嶋本は片足裸足のままでキッチンに向かい無言のままコーヒーの豆が入っている缶を手にするを後ろから抱きしめる。自分と同じシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐるのが気持ちよくて髪に顔をうずめた。

「ほんまに悪かった」
「…ええよ、もう」

 大きくため息をついたにやんわりとまわしていた腕を外されて行き場のなくなった手で嶋本は自分の頭をかいた。とても本当に許してもらえたとは思えないけれど、これ以上しつこくすると反って薮蛇になりかねないのでおとなしく引き下がった。

 この礼は必ずするからなぁ、あのバカヒヨコどもめ!

 それが八つ当たりだということはこの際おいておく。 そういえば、と訓練の見直しをしようと資料を持って帰ってきたことを思い出した。

「あー、あのバカヒヨコども、仕事思い出させやがって」

 部屋の隅に放り出してあるデイバッグからがさがさと資料を出して来て、それぞれの特徴を絞りだすためにチェックしていく。

「仕事?」
「あぁ、スマン。すぐやし、片してまうわ」

 淹れたてのコーヒーをもらって嶋本は資料に没頭していった。 その横にもたれるように座ると嶋本の手は当たり前のようにの肩に回されて、その重みに安心して頭を預けた。

 変わらない嶋本の重みも匂いも仕草も何もかも好きだということはの中で何一つゆるがないはずなのに、些細なことが心を蝕んでいく。

 嶋本はの地元で暮らした数年間で、十分すぎるほどに言葉は関西弁になり、生活習慣も風習もすっかりとの慣れ親しんできたものになっていた。

 それが、今は、の知らないものへと変化していっている。

 イントネーションが微妙に標準語に近くなってきていたり、未だに自身が慣れないこの町にすっかり溶け込んでいる様子とか、こんな薄い食パン食う気おきんわと笑ってたのに、いつのまにかキッチンの片隅には八枚切りの食パンが置いてあったりとか、嶋本本人に言えばきっとアホかと一蹴するだろう、そんな些細なことばかり。

 合コン行って知らない女たちと楽しくやってることも気に入らないけれど、それよりもそういう生活に根付いてしまっている嶋本が、のいない生活が当たり前になっている嶋本がには堪えた。

 もう、自分の元へと帰って来ないのではないかと。

 そしてそんなことを嶋本を目の前にして気にする自分がイヤで嶋本の体温を求めようと、嶋本の胸に抱きつくように腕をまわした。

「何や、甘えん坊さんやんか?」

 揶揄するような嶋本の言葉に何も答えずにぎゅうっと回した手に力を込めた。 コンとペンが置かれる音を聞いてその手が期待通りに自分に回されたことにはほっとする。

 軽く引き上げられて嶋本のひざの間におさまると、嶋本はやさしい目でをみつめた。 そのやさしさは、以前以上に深くなってきている。は哀れみすらその目に感じた。そんな目で見られることが怖くなっては嶋本にキスをした。もうこれ以上何も考えたくなかった。



200505??→20080607改

 

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